
和48年には札幌で冬季オリンピックが開催された。一方、経済的には昭和46年にアメリカがドル防衛策を打ち出し、昭和48年には石油危機により混乱が生じた。 (2) 地域間労働移動の状況 地域の発展と相まって、新規学卒者の県外就職数は減り、一部Uターン就職の傾向も見受けられ始めるが、全体の流れとしては基本的に昭和30年代と変わりはない。これは、昭和40年代初頭には経済の停滞していた時期もあったが、全体として若年者の人手不足が解消されていないことも一つの要因である。 他方、炭鉱離職者の広域就職は依然として進まなかった。昭和30年代の所でも述べたが、それは中高齢者が多いためで、既に家族を抱えていることや他の職業に応用できる技術を備えていないといった労働者側の問題もあるが、求人者側も受入れのための住宅施設等を完備しているところが少なかったからである。 昭和40年代に入っても就業者全体で見ると依然として繊維産業の就業者が大きな割合を占めていることには変わりがない。特に中卒女子への求人は大きな割合を示していた。 昭和46年3月の学校卒業者の状況を見る(図表2-5〜図表2-9)と大都市への労働供給ルート及び受入れルートの特徴が分かる。 まず、図表2-5では中・高卒男女とも県外就職率が70%を超えるのは鹿児島県であるが、概して福岡県を除く九州は他地区に比較して県外就職率が高い。また、九州に次いで東北の県外就職率が高いが中でも秋田県が高いことがわかる。 また、当時の中卒女子の県外就職者の7割が繊維関係職種に就職していることから、女子の県外就職率が高い地区が繊維関係企業の労働力供給源として大きなウェイトを持っていたと言える。なお、沖縄は、中卒男子の県外就職率が低いのが特徴である。 図表2-6は県外就職者の送出地内訳である。中卒については男女とも東北と九州で6割を占め、送出地に偏りが見られる。高卒については、中卒同様東北と九州が送出地として割合は高いものの、その割合を男女とも中卒と比較すれば偏りは見られない。 図表2-7からは中卒女子が東海地区へ就職する数が多いことがわかる。高卒では男女とも南関東への就職が多いのが特徴である。図表2-8では、中卒は各地域とも受入先が限られていて、高卒では中卒に比して各地域が平均したウェイトを持っている。高卒女子については近県からの受入れが大きいのも特徴である。 図表2-9は沖縄から本土への就職先内訳である。沖縄は本土復帰(昭和47年5月)前から若年労働力を本土に送出していることがわかる。 (3) 政策的対応 昭和41年に、政府は大学卒業者の就職難対策として、総理府に「臨時学生等就職対策協議会」を設置し、東京をはじめ7都道府県において「地方学生就職促進対策協議会」を開催することとなった。職業安定機関においても、主要20都道府県の特定の公共職業安定所に「学生就職促進部」を特設して、大学卒業者を対象とする求人確保、就職指導に対する援助及び
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